Seal the Love! Seal the Forever! -6-

なんと7回目、ということは三日坊主が常のぼくでも一週間も続いてしまったということでしょうか。無事オープンβが始まったと思いきや…… GMたちは満身創痍だったんです。このへん、だんだん思い出すのがきつくて筆が(キーを叩く手が)鈍ります;;

クローズドβ開始以降の激務が祟ったのだろう。寿司をつまむことなく倒れたGM_Gazzaは、その後病院で診てもらったところ、足の古傷の痛みが再発したとのことで、(年末年始ということもあるし)当分の間は休養ということになった。

クリスマスが過ぎ、年末ムードの中、サーバーオープン自体は無事に済んだという安堵感もあったけれど(まあ、マップ落ちはしょっちゅうあった)、それ以上にみんなの体力は限界を迎えていたし、冬の締め切ったフロアに詰めていたら風邪の一つや二つ簡単に広まってしまうわけで。あろうことか、インフルエンザが流行ってしまったのだ。

ぼくは「○○は風邪をひかない」の例えどおり、インフルエンザにも風邪にも無縁だったけれど、オープンβの開始から一週間ほどの記憶がほとんどない。まだGMではなかったのと、いろいろ首を突っ込んではいたものの、どう逆立ちしてもGBMの社員ではなかったので、本来の会社の仕事をしていたような気もする。上司が気を遣ってくれて、ぼくはすこしの間、ゴタゴタのありすぎる浅草橋から離れていたような、そんな感じだったんじゃないかと思う。

とはいえ、折に触れ浅草橋に顔は出していて、作業を手伝ったりもした。
βテストに参加していたプレイヤーさんは知っているかとと思うけれど、2004年の正月に、GBMは住所を登録してくれていたプレイヤーに年賀状を出した。この宛名シール貼り(うーん、直接印字されたものへの切手貼りだったかもしれない。手元に印字済みのがないので確認できないのだけれど)がまた難儀だった。

普通、DM発送をしてくれる業者に住所リストとかハガキとかを渡せば、機械的にパッと印刷から発送までできそうなものだが、なにしろ登録された住所は「ナメック星」やら「ペンギン村」やら「ムーミン谷」が多数を占めている。そんなデータは渡せない。ならばデータの状態で加工すればいいのに、ぼくが知ったときにはなぜか宛名が印刷済み。さらに、目視で「これはないわー」という住所や、番地の書いていないものは除外しなければならない。こういうの人海戦術っていうのだと思うけどエンジニアでもGMでも経営陣でも助っ人のぼくでも、とにかく交代で黙々とやっていったのである。

で、そんな作業を何日か続けているうちに、先述のインフルエンザで一人欠け、二人欠け、大晦日までの間に、稼働できるGMはなんとGM_Kabra、GM_Bangdollの2人だけになってしまっていた。24時間体制のオンラインゲームで、オープンβ開始直後という大切な時期にこれでは、ほんとうにサービスを維持するのは難しい。

技術の要となるエンジニアは、トラブルがなければということで年末年始は自宅待機。といっても歩いて数分のところに一室を借りてそこに3人(Webプログラマ、ネットワークエンジニア、サーバーエンジニア)が住んでいるという、今で言えばシェアハウスみたいな状態だから、トラブルがあればすぐ駆けつけてくれたし、技術的な安心感は比較的大きな印象があった。

とはいえ、GM2人。当時は、ゲーム内のサポートだけでなく、お問い合わせメールも全てGMが返信していて、そりゃ10万人近くのプレイヤーがいれば、同時接続は1万人くらいあるし、問い合わせはひっきりなしに届く。バグやらスタック(フィールド上で動けなくなる)やら、グラフィックボードの相性で動く動かないみたいな話題がドンドコ届く。返信しても返信してもどんどんメールが溜まっていく。GMだって食事もすれば仮眠も取りたい、でも2人は同時に外出できない(事務所がカラになってしまう)し、八方塞がりだったのである。

そういうときに、なんか心配になって顔を出してしまったぼくがいて。あとはわかるな? そう。
「澤さん! ちょうどよかった! 手伝ってください!」

二年参りして初詣もしたかったのだけれど、そんな時間はとれないので、12月31日の夜、ぼくは当時付き合っていた彼女(今のカミさんです)と巣鴨のとげぬき地蔵にお参りをして、彼女をほったらかして浅草橋へ出向いた。

2003年から2004年に切り替わる時、ゲームの中でカウントダウンをやっていたような気もするけれど、たぶんオペレーションしていたのはGM_Kabraで、ぼくは除夜の鐘を聞きながら、GM2人の夜食をコンビニに買い出しに行ったりしてた気がする。

1月2日、夜にKさんか誰かが来たので、留守を任せて、三人で浅草橋の駅近くの「日高屋」に行ってラーメンとチャーハンと餃子を食べたのを覚えている。あれだけゲームの仕事をしているのに、やっぱりゲームの話をしていた。「Bangdollの名前って『聖剣伝説』が元ネタ?」とかそんな話もしていた気がするけど、どうにも細かいところは覚えてないものだね。

大晦日から1月3日の朝まで、いわゆる正月返上ってやつでぼくらは手当たり次第にメールを返していった。ぶっちゃけ、帰ってない。いきなり手伝わされた感がありつつも、メールによるカスタマーサポートの経験はあったので、返信用のシステムに慣れるのも時間の問題だった。毎日1000通、延べ3000通。 回答用テンプレが使えたにせよこれを3人で、つまり一人1000通を三ヶ日で片付けた! ということになる。

GM_KabraとGM_Bangdollはゲーム内の巡回もしたりしながらだから、ほんと、人っていうのはやればできちゃうものみたい。1月3日の昼か夕方に出勤してきたのは、たしかGM_SeraphimかGM_Teraphyだったと思うけれど、年末からの返信履歴を見て「これ、3人で返しちゃったんですか?」と驚いていた。当時、「ドヤ顔」なんて言葉はなかったけれど、ドヤ顔だったと思う。そして、ぼくら3人はそれぞれ眠りにつくために帰ったのだが……

目が覚めると1月5日だった。なんてことだ。岩本町(ぼくの所属していた会社)に昼ごろ出勤したわけだが、仕事始めはとっくに済んでいて、このところ浅草橋に入り浸りだったこともあり、若干肩身が狭い感じもした。

そこへ、ぼくの上司が「誕生日、おめでとう。何歳になったんでしたっけ?」と、手のひらに少し余るくらいの大きさの箱を取り出した。
「あ、え……28に、なりました」
1月5日はぼくの誕生日。いつだったか誕生日の話をしたのを覚えていてくださったのだろう。ぼくは箱を受け取って、「開けていいですか?」と聞く。「そんなたいした物じゃぁないよ」と上司は笑った。

開けると、そこには皮の財布が入っていた。ぼくは、今もそうだけど持ち物に無頓着なほうなので、それまで使っていた財布はとんでもなくボロボロだったから、それを見てのチョイスなのだと思う。ちょっと驚いた。
あいにく、この財布に入れるお金は、あまり持ちあわせてなかった。

さて、ここまでずっと書いてきた中で、ぼく以外の人物については、GM名かイニシャルかで話を進めてきた。でも、唯一「ぼくの上司」という呼び方だけが特殊だったことに気づいた人もいるかと思う。どんな人物だと思う?

数奇な運命ってのはこういうところに潜んでいるんだって、いつも思うけれど、この当時の「ぼくの上司」こそ、現WemadeOnline(日本版『SealOnline』の最終的な運営企業)のJ.C.社長だ。この時はまさかそういう巡りあわせになるとは誰も、微塵も思わなかっただろう。そういう歴史(大げさですが)が作られるには、まずぼくがGMになり、社長になり、そしてさらに1年半ほどして社長を辞めて、さらにぼくのよく知らない経緯を超えて…… という流れを辿る必要があるからだ。

そんなわけで、ついに幕を開けた2004年、GM_Sionicが誕生する日は、案外早く、来た。

(気が向いたら、続きを書きます)

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