『仮面ライダーフォーゼ』の一年間

昨日、仮面ライダーフォーゼが大団円の最終回を迎えた。
別段、空想的な高校生活への憧憬を抱くこともなかったが、学園モノという仮面ライダーにしては異質な世界観で、よく一年間走り続けたなぁ、と。学園モノという設定は足かせになったり、いつのまにか忘れられたり(ウルトラマン80の話じゃないですよ)ってことがありそうなんだけど、そんなこともなく。スクールカーストみたいなのは途中でどっかいっちゃったけどね。たぶん如月がいろんな奴と友達になった結果、スクールカーストとか無くなっちゃったんだよ、と脳内補完。

新スイッチ、新フォームの出現タイミングもよかったと思う。もうちょっとコズミックステイツの特殊効果である、2つのスイッチ効果を組み合わせられるって奴をもっと観たかったし、バリズンソードに○系のスイッチばしばしハメ込んで使ってほしかった。けれど、フォーゼ自体に姿勢制御用のエアダクトみたいなのがついているおかげで、ワイヤーアクションはいちいち楽しいものになっていたと思う。

最終回自体には、心残りなことがいくつかあって、Twitterでもぼちぼちつぶやいていたのだが、以下、疑問を抱きつつも最終回の見所。

  • フォーゼは全フォーム必殺技使用。メテオは火星木星土星を使わずにベーブレード2倍返しとキックで決着。
  • 勝敗を決したのがロケットドリルキックしかも着地時に回転→ストップ+リーゼント掻き上げのポーズ有りで初回を想起させるファンサービス。
  • ヴァルゴによって、ダークネビュラ送りと偽って実はM-BUSに保護されていた人々が放置されたままだし、ラビットハッチがなくなったので、月あたりから救いにいくことができなくなった。
  • 流星くんが立神を葬ってしまった。実際立神はスイッチに毒されていたため、生身の流星の蹴りを食らった衝撃で消滅したと捉えてもよいが、不殺の役割を負うスイッチの意味が台無し。スイッチの束縛から逃れたれた人は病院送りになりつつも、スイッチのほうを破壊or回収してきたこれまでの作法がマジ台無し。まあ、流星くんは一度フォーゼも葬っちゃってるし、殺人拳の使い手だからしょうがないかー(ぇ
  • 尾崎豊かよ!っていう「アンタの支配からの卒業」みたいなセリフがあった。
  • ラストの担任(っつか顧問)を囲んで草っ原で上を見上げて金八アングル。(カミさんが看破した)
  • KENGO復活したら躁状態になっててキター!
  • 結局「先輩ライダースイッチ」って何だったんですかね(メガマックスでちょっと使った以外は、ガンバライド用アイテムでしかなかった)
  • 如月は「学園の生徒全員と友達になる男」だったので立神とは友達にならなかった……。金属生命体みたいなのとか宇宙鉄人みたいなのとか巨大ロボットだとかとは友達になったのにな。
  • 最後まで流星くんイケメンだった

そんな最終回。で、一年間を通じて振り返ると、何かちょっと物足りない感じが拭えないのだよなぁ……。
以下、ちょっとした世界観を貫く哲学についての考察。


物足りなさってのは、たぶん一年間を通じての大河ドラマ成分みたいなのが薄味だったからかな、とは思う。ラスボスであった理事長は、最初からラスボスであることがわかりきっていたし、全編通じて謎だったことも、敵側についての謎はヴァルゴが全部語ってしまったし、味方側の謎はラスト4話くらいで全部KENGOが語ってしまった。

如月が解き明かした謎もなければ、フォーゼが如月でなければならなかった理由が一つもなくて、彼は単に色んな奴と友達になっただけだった、という。世界観を包む哲学の中心に主人公はいたのだが、謎の中心には主人公がいなかったんだよな……。映司が欲望の器であり、フィリップが地球の記憶だったということに比べると、如月は本当に普通の友達想いの高校生だ。

そういう点で、謎に関する部分はKENGOが担うべきだったんだけど、いや、担ってはいたけど説明的すぎた。KENGOは、フィリップやアンクほど(仮面ライダーを構成するのに)重要じゃなかった。そのかわり、フォーゼという物語の哲学を如月とのペアをもって存在させるためには不可欠であった。

もちろん「友を信じる」ということがヒーローの条件である、というフォーゼという作品を貫く哲学はまったく否定するところはなくて。ただ、惜しむらくは「如月の友情の育み方が至上」というところに収束していってしまったことである。

流星が親友を救うために当初戦っていたというのが、如月流の友情と対比される出来事だったのだけれども(誰とでも友達になる男と、すでに友達である一人のために永遠に戦う男の対比)、如月と流星が打ち解けてからは、如月流の友情がこの世界観での「友のあり方」を画一化してしまった感じがある。

例えば大文字先輩と風間美羽は恋愛が一周して「男女の友情は成立するか」って話になってるし、毎回ゾディアーツになってしまういろんな学生の周辺事情とその物語は、危うかろうが壊れようが「友情の物語」であった。でも全部、如月が干渉することで「如月流」の友情に染まってしまうのだ。

如月流の友情がある一方で、ラスボスである理事長は「友を育めなかった」男で、側近の立神は友情よりも尊敬を、校長は友情よりも裏切りを、それぞれ育んでしまっていたが、よっぽど敵幹部のほうがそういう悪い側面を含めて、「友情の多様性」を示唆していた感じがある。ひねくれた友情もあったもんだ、ってことにはなるけれど。

ヒーローは、生まれつきヒーローなのではなく、ヒーローに「なっていく」ものだという考えのもとでその系統の物語を期待すると、フォーゼはそれが無いので(如月の友達作りスキルは、番組開始当初から変わらない)、ぼくがなんとなーく物足りなさを感じているところはそれなのだろう。
どちらかというと「うちの生徒に手を出すなぁー!」って言って怪人から生徒を庇おうとした大杉先生が一番旧来の世界観で言うところの「ヒーロー」っぽかった。

あとは余談。

四十周年記念ライダーということで、終盤戦は先輩ライダーの特訓を受けてそれぞれの技をスイッチに託してもらい、そのスイッチを差し替えては必殺技を繰り出す、みたいな企画はされていなかったのだろーか。一年間の放映中に、企画が変わったり、テコ入れされたり、敵幹部がずーっと生き残ってたりいろいろあるからなぁ。なんとなく起伏に溢れた企画が放映中に平坦になっていってしまったような(よくないオタク観点ですが)感覚を覚える。

とかなんとか言って、全部スイッチ揃えたりしたので、玩具的にも一年間楽しんだ感じある。なにしろ、放映前まで、40種揃えるとかぜってー無理って思っていた。オーズのメダルとかは変身用とフォームチェンジ用以外は不要(それでも8フォーム分あった)と思って、ライダーメダルとかはほとんど揃えなかったけれど、スイッチは先輩ライダースイッチ含めて集めてしまった。

スイッチ単体のプレイバリューという点では、やはりコズミックスイッチか。非常用スイッチ然としたところがいいですね。ベルトなくてもフォームチェンジ音声鳴ればいいのに……。その点、ガイアメモリっつーのは、よくできたアイテムだったんだなぁ、と今更ながらに思う。

玩具のFMCSも、各フォーム手頃な価格でモジュールも全部揃っていい感じであった。必要な箇所に透明な樹脂を使ってあるというのが、昨年のオーズのOCCシリーズよりも優れている。ステルス彩色版(透明なプラスチック成形なだけだけど)がすごくかっこよいのと、コズミックモジュールの胸の部分がシールだけでなくその上に透明な樹脂でカバーしてあるとか、価格なりの出来で収まるところをよく作ってあって、なんと今年はS.H.F.のフォーゼの一連のやつは買わなかったのだ。昨年のオーズの映画フォームであるブラカワニコンボがOCCで出なかったように、今年の映画フォームであるフュージョンステイツはFMCSでは出ないのだろうなぁ。そんな玩具観点。

とにもかくにも、一年間、毎週とても楽しかったし、仮面ライダーが毎週観られる幸せに感謝すべきだと思った。

広告

コメントは停止中です。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。