ソーシャルゲームとは何だったのか(1)

過去形かよ。

以前ぼくは、「ソーシャルゲームの無くなる日」というエントリを書いたんだけれど、これは、「ゲームというゲームにソーシャル性が盛り込まれ、わざわざソーシャルゲームを区別する必要がなくなる日が来る」というような意味で書いたわけだ。

ところが、そういう方向性でソーシャルゲームという言葉が無くなる前に、別の意味を与えられてしまった。

どうやら、多くの人が「ソーシャルゲーム」という言葉を「送り手が儲けるべく利用者の射幸心を煽らんと設計されたゲーム」の代名詞にするが如く使っているということのようで、まぁこりゃ有名税(←使い方違います)だよなぁ、みたいな。

確かに昨今、ケータイのカードゲームを巡っていろいろなことがトピックになっておりました。「オークションサイトでン万円で取引されていた」「カードをコンプリートするのにン万円使った」とまぁ、これはユーザーサイドの話題。送り手側はというと「ケーピーアイのダウとマウがアップしたところでアープを高めてマネタイズ」みたいな、「ファルシのルシがコクーンでパージ」以上に「おまえは何を言っているんだ」状態のセミナーやらなんちゃらーかんちゃらーを繰り広げている状態。

どうでもいいですけど、日本人って「儲かりまっか」と言われたら「ぼちぼちでんな」と答える国民性、謙虚さではなかったのか(いや、ぼちぼちでんなは謙虚だからそういう言い回しなわけではないが)。それをあまりに儲かる儲かる儲かる儲かる言ってしまったものだから、(別に儲かるという事象に何ら悪いことはないのに)だんだん悪い印象になっていっている感がある。ほら日本人って「あいつ悪い奴なんだぜ」って指差すより「あいつ儲けてるんだぜ」って指差したほうが、対象を悪く印象づけちゃうことできるでしょう。言葉は受け手の問題なんだから気をつけろよ、儲かるとか言ってるとタカられっぞ! って何の話だ。

で、話をグーっと元に戻すと、ソーシャルゲームは、別にバーチャルカード収集ゲームのことではないし、ランダム販売方式で何らかのデジタルデータが手に入るゲームのことでもない。人と人が繋がり合うこと、繋がり合うことの効果を盛り込んだゲームのことだ。

だから、マネタイズが上手かろうが射幸心を煽ろうが、それはたまたまそういうギミックを搭載しているだけであって、ソーシャルゲームの本質じゃぁないッ! そして実は本質とかプレイする人々にとっては案外どうでもいいッ! 四の五の言うな! 寝言は寝て言え! じゃあ何なんだYO!

そしてぼくが書かなければならないのは、講演するときみたいに「カネの話はしません宣言」で、マネタイズとか射幸心を煽る仕組みとかの話じゃなくって、どうやったら人と人が楽しいゲームができるか、だ。ゲームによって人の喜怒哀楽の心の襞をいじるか、だ。出会いもあればケンカもある、いい思いもすればイヤな思いもする。そういう類の、いつもと変わらない、ノーマネーの話だ。ノーマネーでフィニッシュです。それにしてもぼくのサイフに357円しか入ってないのは何でなんですかね。

今回(1)ってタイトルに入れてしまったので、続きを書かないといけないですね…ではいずれ!

広告

現在コメントは受け付けていません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。