続く「震災」

銀座で特設されている「東日本復興応援プラザin銀座」に行ってきた。

物心ついてから30年くらい、各地で大きな地震はいくつもあって、連日の報道がぽつぽつと止む頃には、なんだか全て片付いてしまったような気になって、その繰り返しだった。それで生きるということや、命ということを考えたことも、正直、なかった。
去年の東日本大震災は(原子力発電所事故の話題が相変わらず続いているということもあって)報道もやまないし、日常での会話にも、それが主題ということはなくても、地震のその時どう過ごしたかというのは一つのコミュニケーションのきっかけとして生き続けている。
先日も4年以内に首都圏で大地震が発生する確率が70%という研究者の発表があったり、そういったことに触発されてか1月25日に大地震があるかもしれないという噂があり、起こる起こらないは別としても注意喚起を促される、そういう日々を過している。
確かに、防災用品・非常持出しをあらためて調えて、震災というのは終わるとか終わらないとかではなく、常に「その時」であるのだな、と感じているし、それはそれでなんとストレスの大きい不安なのだろうとも思っている。

震災の展示、復興の展示を見て、人はなんと弱くて、人はなんと強いのだ、と、何度も、震災の映像やニュースを見ては思ったことを、本当に何度も、考えていた。
よく、考えが堂々巡りになるとき、結局手足を動かさないのであれば、それは悩むだけ無駄なことなんだとそのループを疎ましく思うことがあるが、人は常に動いているときにしか過程や結論を踏むことはできないので、考えるということはそんなものなのだろう、「その時」に手足が動くように考えておくものなのだろう。

家に帰ってつけたTVのニュース番組でも、震災の特集をやっていた。用心したり、準備をしたり、人それぞれだと思うが、震災はずっと続いているし、大地が揺れるということと共存していかなければならない土地なのだな。これから何年かは、そういうことを無意識のどこかに追いやるというのは難しい日々だということだ。

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