成人と建築とスタンプラリー

成人の日かぁ。今日のニュース番組は、新成人が生まれた20年前にこんなものが流行していたとか、こんな曲が流れていたとかを流しているわけだが、ぼくの20年前はどうだったかな。

高校一年の頃、ぼくはバイトしていて、学校からの帰り道にバイト先であるスーパーに寄って、店が閉まるまで働いて、そんで帰る、みたいな生活を続けていた。

今からではまったく考えられないのだけれど、バイトの給料で何を買っていたかというと、ゲームもそうなんだけど、高いネクタイとか買ってた。意味わかんない。何かブランドにハマってたとかでもないんだよね。服も今よりちゃんとしてて、一応襟のついたシャツとか自分で買って着てた。モテたいってのが大きかったんだろうなぁ。まぁ、そんな時分に生まれた赤ん坊が本日成人式。

ぼくの成人式を思い出すと。

15年くらい前、ぼくは市の催し(武蔵野市に住んでいた)には行かずに自宅で腐ってた覚えがある。なんか、1月15日(当時は成人の日は15日で固定されていた)にどこそこに集まるみたいな、自分で予定したものではないスケジュールに無性に腹が立っていたんだな。

そんなの成人の日だし成人式なんだから、世間的に昔から決まりきったスケジュールなんだけどさ、朝起きたときに気持ちがノッてないと、なんでそんなおれ以外が考えたスケジュールで動かないといけないの?みたいな気分になっちゃって、それで行かなかった。大学に行きながら働いていて(もう高いネクタイを買ったりはしなくなっていて、Macとか買っていた)、よく友達と話していたのは「大人って、いつ大人になるんだろうね」っていうこと。

なんとなく、20歳という年齢と「大人」という言葉の結びつきにリアリティが感じられなくて、それでその時は「自分に子供ができたら、相対的に大人になるんじゃん?」くらいの無理やりな結論で会話を終わらせたんだよね。

結局今でも、ぼくは大人かというと、あんまりそんな気がしていない。子供と大人はシームレスだ。労働という「大人がしているそれ」をぼくは15のときからしていたのに、仮面ライダーとかナントカ戦隊とかのような「子どもらしい何か」を一切、「卒業」しなかった。

そういうことがあるからなのか、ぼくはたまに精神的な歴史のその地続きを利用して自分の「ルーツ」を探しに出かけたりする。ぼくの過去を知る人に会ったりして当時のことを会話して、あれ?ぼくってそんなだったっけ?というのを巻き戻して観賞するかのように。

20年にちなんで、というわけではないけれど、二十数年ぶりに幼馴染みに会って話をした。彼はたまたまこの季節、東京で建築・設計の個展を開いていて、それに行ってきたのだ。

20年も前のことは全然話さなかったのだけれど(汗)、展示物の一つ一つを見るたびに、彼の家で遊んだ記憶がちょっとずつ蘇ってきて、例えば、椅子を逆さにしてそれを車の運転台に見立てて乗り込んで遊んでいたら、足がはまってしまい抜けなくなって大泣きしたことだとか、つくば科学博で買ってきたという科学実験キットみたいなものを見せてもらったことだとか、薄い発泡スチロールや工作用紙を組み合わせて作られた家(幼いころの彼はそれを「工務店」の建物だと言っていた)の模型のことだとか、海水浴でつかまえてきたフナムシを縁側から砂地に逃した(すぐ乾いて死ぬだろそれ)ことだとか。

中学生くらいになって通う学校が違ったものだからあまり一緒に遊ばなくなっていたのだけれど、パソコン雑誌のおたより欄に彼の名前を見つけたことだとかも含めて、なんだかよくわからないけれど、大量に思い出していた。

彼の設計する建物は、周囲の環境や歴史的な経緯や道路の素材をもコンテキストとして調和しつつも、新たな意味を形成らしめる。

例えばそれは、ぼくの仕事でいえばオンラインゲームのアップデートだ。現在のプレイヤーの興味、遊び方を一つのコンテキストと捉えつつも、新たな遊びを加えていくことで、全体的に(旧来の部分は物理的に、客観的に何も変わっていなかったとしても)進化を導く。

そして、建物の中でも外でも、人はその「目の高さ」でモノを見ながら生活する。目の高さが変われば、目に見えるものも変わる、物理的に何も変わらなかったとしても、だ。人の、精神が触れる世界は、明らかに「変容」を感じ取るのだ。それこそが空間であること、立体であることの大きな意味なんだと、ぼくは思う。

帰り道に、西新宿のビル街の谷間に浮かぶ月を、ケータイでパチリと撮った。月は大きいな、月is biggu。そう思ってついでに都庁の展望台に登って、もっと綺麗だろうと、もっと神秘的だろうと、それを期待して展望階の窓から月を見たら。

すでに比較対象を失って、だだっぴろい宇宙空間にちっこく浮かんでいる館内電球の映り込みだかなんだかわからないものしか、そこには無かった。人の目というのは、美醜においても、見たい物だけを見て、みたくないものに対しては極めてテキトー。だからこそ、目の高さだとか、角度だとか、色々変えてみるってことや、その空間自体のつくりで誘導して「変えさせる」ということが、誰にとっても何かを気づかせるきっかけになる、進化を導くことなんだな、と思った。

古代、高層ビルなんざない、だだっ広い野原で月を見上げた人間は、丘の上に登ったか、はたまた木の上から昇りゆく輝きを見たか。日々移ろい、時と場所にて違って見えるそれらを、なんと心に留め置いたか。

ところでセブンイレブンで開催されていた、仮面ライダーのスタンプラリーは今日までだったので、ちゃちゃっとクリアしたとかです。

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