法事とUFOと伝説の折り紙

祖母の一周忌で出かけた。祖母が亡くなって一年。この一年間は、ずいぶんあっという間だったなぁ、という印象。

それはそれとして。

着くや否や、父がハガキにスケッチした絵をぼくに見せて「こういうの、知ってるか?見たことあるか?」と訊く。描かれていたのは、なんというか、銅のビールジョッキのような円筒に、さらに小さな円筒が添えられたようなものの絵だった。

「?なにこれ、食器かなんかの絵?」

まるで何かのクイズを出されているかのようで、なにかイタズラ的なひっかけ問題かもと思ったが、どうやっても、単なる赤銅色の茶筒にしか見えない。あるいはそういった色のサイロ。

「これが、浮かんでたんだよ、空に」

次に見せられたのは、A4にプリントアウトされた住宅街の空の写真で、そこに、その物体が、浮いているものだった。

ぼく「!」

父「これは書いたんだけどね」

ぼく「合成かよ!そんで手書きか!」

父の話では、朝、仕事場に向かう途中に空を見上げるとその円筒を2つ添えたような物体が、雲に見え隠れしながら浮かんでいたという。そしてその日は風があって雲は流れているのに、それは流れずに静止。忘れちゃいけないと思って必死に形を記憶して、仕事場につくなり、ハガキにスケッチをしたのだそうだ。

写真撮れよ!

こういっちゃなんだが、父はマイコン時代以前から機械に強いし、仕事もMacやPCを使い「ネットがないと生きられないんだよ」と言ってのける人間だ。だが、致命的なことにケータイを持っていない。だから写真は撮っていない。カメラは家にあるが、面倒で持ち歩かない。

スケッチされたハガキにはご丁寧に、目撃した年月日と時間が書き添えられていた。赤銅色の茶筒のスケッチと、プリントアウトされた風景写真に手書きの合成。そこには昭和の「UFO特集」で紹介される目撃譚そのままの状況がそこにあった。

だが、思うに、ケータイを持っていなかったからこそ、空を見上げ、気づくことができたのかもしれないなー、と。ぼくは大概、歩いていてもスマートフォンかゲーム機の画面を見ているし、街や雑踏に気を取られていて、空を見上げることなんか。

まぁ、結局親戚にも同じスケッチと同じ問答をして、皆一様にその物体がなんだかわからず。UFOというには形が円盤や球でなく、気球や飛行船、アドバルーンにしては、既存の浮遊する物体の形を逸脱していて、一体なんだったのだろう。果たしてそれは天空の城であったか。

とりあえず、父にはiPodTouchでも持っとけ、ケータイの料金払わなくてもWiFiのあるところなら喫茶店でもネットに繋げるし、何よりも写真が撮れるから、と伝えておいた。スマフォとか勧める気にならなかったのは、空を見上げなくなるのも寂しい気がしたのと、ケータイを持たない昭和の空気を、遺しておくほうが楽しいと思ったからだ。

あと、土産に薄型のスキャナを一台持たされた。複合プリンタを買ったので不要になったそうだ。法事の土産にスキャナというのもよくわからないが、オフィスで使うのに手頃だったので持って帰ることにした。

その後、カミさんの友人たちが子連れで地域の住区センターみたいなトコに集まっているというので、寄った。ぼくはまったく面識がない上に、あまり人が多いところは苦手なのだが、結局行ってみるとその広い和室を子供たちと走りまわりながら遊ぶみたいな状態に陥った。

座布団は手裏剣であり、橋である。

座布団を橋のように敷き、その上を歩く。畳のところに落ちたら爆発してしまうのである。敵が現れたら、座布団を投げる。ぼくらは忍者海賊だ。座布団が仕舞われていた押入れは危険地域。登ると降りられなくなる。お菓子の空箱は宝箱。中にはカーズ2のDVDが入っている。これを泥棒に取られないようにそーっと足音を立てずに歩くのだ。あるときは仲間として敬礼のポーズをとり、あるときは敵として、デーモン小暮みたいな声をだしながら抱えて振り回す。船だといっては波のように揺する。

そんなことを4〜5歳の子供軍団とやっているものだから、息が切れてしまった。ママさんたちはそんなぼくに一様に感心したり、子供は任せたとばかりに歓談していた。こっちは冷や冷やだ。押入れの上段から落ちないか、ちゃぶ台のカドにぶつけたりしないか、ささーっと走り抜けていく4人の子供を全て目で追うのは、ニュータイプでもなければただの難行である。

結局、二人を抱えて振り回した時点で、腰をやった。

声が枯れ、汗をかき、腰をやっちゃった若作りのおっさんに、男の子が「これあげる」とキラキラ光る折り紙を呉れた。伝説のスーパー折り紙だそうだ。樹脂でできていて、3Dのように浮き出る模様がついている。

帰路、余り物でいただいたプリンを食べながら夕焼けの中、歩いていた。ずっと考えていたのは、見えないものと見えるものについてである。ぼくの父はUFOならぬ赤銅色の茶筒を虚空に見つけ、子供たちは住区センターの畳と座布団に、海原と船や橋を見た。

普段見えないものがそこに見える。そこにあるものが別の形に見える。どちらが夢でどちらが現か。キラキラと輝く折り紙には、そこにはないものが立体として浮き出ている。

目で見る限り、いずれもが正しい記録は残さず。そして心で見たものは、記憶には空に浮かんでいたものは天空の城であったし、やはり畳には海が広がり、それを踏んだぼくは爆発してしまっていたのだ。その体験はケータイで撮影できるもんではない。スケッチをすべきなのだ。

そこまで考えて、さて、伝説の折り紙は樹脂でできていたので、折ってもうまく折り目がつかず「すぐ開いてしまう何か」しか作ることができなかった。

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